作品
基本情報
- アーティスト
- Popol Vuh
- アルバム
- 第3スタジオ・アルバム
- 最初に記録された版
- イタリア、1972年
- ドイツ盤
- Pilz、1973年
- オリジナル曲
- 8曲
- 歌
- Djong Yun、ソプラノ
重要な理由
電子音の開拓者がアコースティックな祈りで自己を作り直す
『Hosianna Mantra』はPopol Vuh作品群でも初期の最も鮮烈な変化を示す。『Affenstunde』と『In den Gärten Pharaos』は電子音と大規模な器楽環境を中心にしたが、第3作はピアノ、撥弦、管、ヴァイオリン、声へ向く。ただし持続的な聴取の否定ではない。タンブーラの共鳴と反復音型が連続性を電子音からアコースティック演奏へ移す。Djong Yunのソプラノが、通常の歌手伴奏型ロックへせず宗教的な言葉に人間的中心を与える。
Conny Veitの電気/12弦ギターは和音伴奏だけでなく独立した線でFlorian Frickeのピアノへ応じる。Robert EliscuのオーボエとゲストFritz Sonnleitnerのヴァイオリンが室内楽的対位法を作り、Klaus Wieseのタンブーラが和声空間を伸ばす。HosiannaとMantraはキリスト教とヒンドゥー教の宗教語彙を意図的に結び、Fricke自身もその組み合わせを作品の中心と説明した。宗教的集中を電子的規模や教会制度でなく、聴取、反復、合奏責任から作る具体的な音楽解に重要性がある。
1972〜73年
Moogと大聖堂オルガンからピアノと人の息へ
Popol VuhはFlorian Fricke、Frank Fiedler、Holger Trülzschから始まり、1970年にMoog中心の『Affenstunde』を発売。1971年の『In den Gärten Pharaos』は電子音作品と大聖堂オルガン録音を組み合わせた。『Hosianna Mantra』のためFrickeはConny Veit、Djong Yun、Robert Eliscu、Klaus Wiese、ゲストFritz Sonnleitnerによる新たなアコースティック編成を組んだ。Frickeは後に、Veitと約半年準備してから録音したと回想した。
原盤ライナーは作曲と文書をPopol Vuh名義とし、Martin Buber翻訳に基づく言葉を記す。イタリアPDU盤は1972年、ドイツPilz盤(20 29143-1)は1973年に記録される。この発売史により、信頼できる資料がどちらの年も示す理由を、版の創作や抹消なしに説明できる。1973年の『Seligpreisung』は異なる歌唱/合奏編成でFrickeの宗教文書への関与を続けた。
アコースティック合奏
通常のロック・リズム隊を持たない6人
Frickeのピアノは和声、脈動、沈黙を与え、シンセサイザー不在によって触れ方と減衰が新たな中心となる。Veitの12弦は明るい反復音型を作り、電気ギターはロック・ソロにせず部分を強める。Eliscuのオーボエは、Yunを模倣せず応じる息の形を持つ旋律声となる。Yunは装飾的ゲストでなく主要奏者として歌い、広範な参加により器楽曲という分類は不適切。
Wieseのタンブーラは変化する西洋和声の下に連続的な倍音場を築く。Sonnleitnerのヴァイオリンは持続する対旋律を加え、原盤クレジット通りゲストとして保つ。Kramperのミックスは小さなアコースティック細部と共鳴を均衡させ、音量に依存しない劇性に不可欠だ。Löper、Endrulat、Heudorfからなる技術陣を、一般的なスタジオ推測で置き換えてはならない。
宗教的室内楽
共鳴、対位法、祈りの静けさ
ドラム、電気ベース、通常のロック・リズム隊なしに強度を作る。ピアノの打撃が暫定的中心を定め、12弦ギターとタンブーラが各身振り後も鳴り続ける。オーボエとヴァイオリンは応答する声として対位法を作り、管弦楽的な詰め物にはならない。Yunのソプラノは楽器の上へ入り、また内部へ収まり、宗教文書の知覚距離を変える。
A面はAh!からKyrieを経て10分の表題作へ徐々に広がる。
B面は短い形式と2つの小さなAndachtを使い、別れ、祝福、瞑想の曲順を分節する。反復は強要でなく注意として働き、音域や楽器の組み合わせの小変化が大事件になる。録音は室内音と減衰を保ち、沈黙を空白でなく合奏構造の一部にする。
全曲ガイド
両面2連作と原盤8曲
Ah!
感嘆詞がHosianna-Mantra面を息、呼びかけ、音楽的開始として開く。ピアノと撥弦が、Yunのソプラノが芝居がかった登場なしに現れる場を作る。オーボエとヴァイオリンは声を混雑させず、隣接する線の曲線で小曲を時間以上に大きく感じさせる。題に教義的主張はなく、説明より先に音楽が始まる。面連作の第1段階として音自体へ注意を向け、独立したポップ曲にならずKyrieの明示的祈願を準備する。
Kyrie
Kyrieは慈悲を願うキリスト教典礼語を導入する。教会礼拝を再現せず親密さを保つ。反復するギター音型とタンブーラの共鳴が、ピアノ、声、オーボエ、ヴァイオリンをゆっくり動く関係で支える。Yunの線が文書を運ぶが、器楽の応答は伴奏が歌手へ従うだけの階層を防ぐ。冒頭の感嘆と長い表題作の間で、A面へ言語的/祈りの焦点を与える。抑制は、教会制度用の音楽でなくてもミサとして理解できるというFrickeの考えを示す。
Hosianna-Mantra
10分の表題作がA面を完成し、結合した語彙を体現する。Hosiannaはキリスト教の賛美、mantraはヒンドゥー教の反復される宗教的発話。Frickeは、内面に宗教的真理を見いだす信念で2つの文化と言語が出会うと説明した。両伝統が音楽的に同一とは装わない。タンブーラ、ピアノ、ギター、ソプラノ、オーボエ、ヴァイオリンは個性を保ち、反復が集中を共有させる。長さは頂点中心の展開でなく回帰を許し、劇的終結より深まった注意で面を解決する。
Abschied
「別れ」がDas V. Buch Mose面を開く。A面の持続的表題作後、3分の規模が別離を即時にする。ピアノと弦が物理的旅を描かず運動を縁取り、声が別れを精神的/感情的移行にする。ドイツ語題はB面をA面の典礼ギリシャ語と混成題から区別する。Abschiedは蓄積した共鳴を払い、祝福と瞑想が前進を繰り返し遮る曲順を始める。
Segnung
「祝福」はB面連作を初期の最も広い表明へ拡張する。Yunのソプラノと合奏は密集した力でなく空間から豊かさを作る。ピアノ音型が宣言的に響き、オーボエ、ヴァイオリン、ギターは祝福を関係的にする。一つの線が差し出し、別の線が受け応じる。宗教的枠は記録されるが、架空の儀式や会衆は割り当てない。Abschied後、Segnungが喪失を祝祷へ変え、2つのAndacht小品が休止を形づくる前にB面へ十分な音楽的重量を置く。
Andacht I
最初のAndachtは1分未満。ここで祈りは未完成の歌でなく閾である。簡潔な身振りが注意を集め、Nicht hoch im Himmelへ解放する。後年版は同題2曲を番号で区別することが多いが、原曲順はAndachtを2度印刷する。第1/第2という呼称は案内上の便宜で、ジャケットに番号付き副題はない。短さは、10分の表題作と同じ配慮で沈黙と枠づけを使えると示す。
Nicht hoch im Himmel
「天の高みにはなく」はB面中央の長い表明。題は超越を遠い高所から近い人間経験へ引き寄せ、自身の心のためのミサというFrickeの説明と一致する。ピアノ、声、持続するアコースティック色が、単に柔らかくならず内面性を聞かせる。旋律線は上昇するが、文書は宗教的真理を距離と同一視しない。最初のAndacht後、瞑想が完全な形式へ開くように響く。制度的壮大さへの最も明瞭な答えで、近さ、息、合奏の聴取を通じ聖なるものへ近づく。
Andacht II
第2の小品が1分未満で原盤LPを閉じる。主題再現で先行音楽を要約せず、もう一つの小さな祈りの身振りがNicht hoch im Himmelの長い表明から聴き手を沈黙へ戻す。同題が中央作の周囲に対称性を作り、配置差が各Andachtへ別の役目を与える。後年ボーナスはこの意図的に軽い終わりを乱し得る。『Hosianna Mantra』は引くことで閉じ、壮大な終止を与えず、レコード後の共鳴を運ぶ責任を聴き手へ渡す。
Hosiannaとmantra
キリスト教文書、mantra、内面のミサ
目的は明確に宗教的だが、Frickeは一つの制度教会の場へ閉じ込めることを拒んだ。HosiannaとKyrieがキリスト教語をA面へ、Mantraが反復する内面的注意の並行実践としてヒンドゥー語彙を導く。Frickeは題を異文化/異言語の出会いとし、その歴史が交換可能だとは主張しない。
B面はMartin Buber訳を通じて提示された言葉を採る。別れと祝福が分離から贈与への曲順を作り、Nicht hoch im Himmelが精神的意味を遠い壮観でなく聴き手の近くへ置く。2つのAndachtは瞑想を行為と休止として枠づけ、物語を創作せず作品へ儀式的な形を与える。
Wessobrunn
WessobrunnのMary像
ジャケットはWessobrunnの祈りの像『Maria, Mutter der Schönen Liebe』を用いる。作品はベネディクト会修道士Innozenz MetzとSt. John the Baptist教区教会に関連する。Maryの伏せた視線が、作品の聴取尺度と一致する内向きな視覚焦点を与える。写真はBettina Fricke。
ジャケット設計はIngo TrauerとRichard J. Rudow。
両面見出しは全8題を無関係な曲目でなく連作として組織する。後年国際版はB面題を翻訳し理解を助ける一方、ドイツ語原面を変える。ジャケットの特定のカトリック像を理由に、意図的に伝統を横断する作品名を消してはならない。
PDU/Pilz盤
PDUとPilzにまたがる1972〜73年の発売史
Popol Vuh作品年表では通常1972年作。イタリアPDU盤は1972年、ドイツPilz盤は1973年と記録される。各国版が同時発売だったとせず両年を示す方が正確だ。スタジオ第3作で、声を中心にした最初の作品となる。
アコースティック編成は先行Moog作品からの大転換だった。Frickeは後に報道と聴衆の強い好反応を回想したが、検証可能なチャートや売上は示していない。裏付けのない順位は付さない。続く『Seligpreisung』も宗教文書を作曲したが、Yun/Veitの同一編成を単純に再現しなかった。
宗教音楽の里程標
宗派に属さない宗教音楽の持続的モデル
『Hosianna Mantra』は変化が急進的かつ一貫しているため、Popol Vuhを代表する作品の一つと広く見なされる。固定編成を作らず、後年へ持続的なアコースティック/精神的言語を与えた。ピアノ、ギター、オーボエ、ヴァイオリン、タンブーラ、ソプラノの組み合わせは同時期のドイツ・ロックでほぼ類を見ない。影響はジャンル発明主張より、合奏方法と祈りの集中で説明する方がよい。
ドラム不在は、脈動が反復弦、フレージング、息から生まれ得ると示す。Yunの歌唱は空気的追加でなく作曲に不可欠。再発盤は入手性を高めた一方、原盤外素材を加えることがある。静かな第2Andachtで終わる原盤は、抑制された形式を理解するため不可欠だ。
原盤8曲
Mariaを原盤LPの外に置く
原盤は索引上全8曲。両面見出しは原提示の構造要素である。2つのAndachtは原盤で同じ題を持ち、ここでは案内のためだけに区別する。英語版はB面題を翻訳する。
Maria (Ave Maria)は後年版に追加されLP外に由来する。3部作Spirit of Peaceも後年追加で、隠れた原盤面ではない。Djong Yunが広範に歌うため器楽曲という分類は不適切。静かな第2Andachtを正規終曲として保つ。
聴き方の道筋
各面を一つの祈りの曲順として聴く
- A面連作を中断せずAh!、Kyrie、Hosianna-Mantraを聴く。
- Yunの声を囲むオーボエとヴァイオリンの別々の役割を聴く。
- タンブーラが変化する西洋和声の下で連続性を保つ様子に注目する。
- 盤を返し、Abschiedを真の出発として聴く。
- 最初のAndachtをNicht hoch im Himmel前の休止として使う。
- ボーナス素材の前に第2Andachtで作品を終える。
- 続いて『In den Gärten Pharaos』と比較し、Frickeが持続的注意を電子音からアコースティック合奏へ移す過程を聴こう。
調査経路
出典と参考資料
- Hosianna Mantraの曲目、クレジット、技術担当 — MusicBrainz
- 原盤各版、ライナー、Frickeのインタビュー、装丁資料 — Popol Vuh archival discography
- Popol Vuh作品年表 — MusicBrainz
- Hosianna Mantra批評資料 — Pitchfork
- PilzレーベルとHosianna Mantra発売背景 — MusicBrainz