The Beatlesのカタログを1960年代の地図に変える
The Beatlesについては、メンバーの人物像、レコーディング・セッション、ビジネス上の対立、衣装、ツアー、個々のアルバムなどを扱った本が数多くある。Ian MacDonaldのRevolution in the Headは、そこから別の道を選ぶ。物語の背骨になるのは、録音された作品そのものだ。MacDonaldはカタログを一曲ずつたどりながら、その曲がどのように作られているかだけでなく、1960年代という文化的な動きの中で何を意味していたのかを問い続ける。その結果生まれたのは、技術資料でも一般的な伝記でもない。最も強い意味での批評であり、議論的で歴史的野心に満ち、あるページでは胸が躍る一方、次のページでは猛烈に反論したくなるような本である。初版は1994年。MacDonaldの存命中に改訂が行われ、2003年の死後には2005年にPimlicoから改訂版が刊行された。この本が長く読み継がれている理由の一つは、著者への反論がその有用性を損なわないことにある。ある評価を全面的に否定しても、その後に同じレコードを以前とは違って聴くことができる。
一曲ずつ進む構成がなぜ機能するのか
The Beatlesは驚異的な速度で変化したが、MacDonaldの形式はその加速を耳で感じられるものにする。"Love Me Do"は1962年の作品だが、そこから4年も経たないうちに"Tomorrow Never Knows"では、テープ、リズム、スタジオ処理そのものが作曲素材として扱われている。そこから"A Day in the Life"、"I Am the Walrus"、"Helter Skelter"、"Because"、あるいはAbbey Road終盤のメドレーへ至る距離も同じように示唆的だ。年代順の伝記でもこの発展を説明することはできるが、一曲単位の研究では、楽器編成、構造、歌詞、アレンジ、プロダクションがレコードごとに変貌していく過程を目で追うように聴き取れる。George Harrisonの役割は大きくなり、Ringo Starrのドラムはますます異例な素材に適応し、George Martinはアレンジの内部へいっそう深く組み込まれ、エンジニアとテープ技術は10年代初頭には想像しにくかったほど創造的に重要な存在になる。バンドの進化は、経歴上の節目を並べた要約ではなく、聴き取ることのできる決断の連続として立ち上がる。
MacDonaldには強い意見がある。だからこそ本はいまも生きている
これは、The Beatlesの全楽曲を礼儀正しく「重要」と認定していく本では断じてない。MacDonaldは順位をつけ、切り捨て、称賛し、不満を述べる。ファンに愛される後期作品を驚くほど厳しく扱う一方で、一見すると小品に見える曲に意外な価値を見出すこともある。LennonとMcCartneyも、その名が正典化しているというだけで批判を免除されることはない。この論争好きな気質こそが、Revolution in the Headを長命な本にしている大きな理由である。セッション資料の精度が上がれば事実中心のガイドは更新されうるが、強い批評的解釈は、別の知的な聴き手が反対できるからこそ興味深さを保つ。ただし危険もある。MacDonaldの圧縮された自信に満ちた文体は、価値判断を証明済みの事実のように響かせることがある。RetroForgeではこの違いを保たなければならない。彼の判定は本の知的個性の一部であり、洗練された文章の奥に隠れた客観的な測定値ではない。
もう一人の主人公は1960年代そのもの
副題が重要なのは、MacDonaldがレコードを消費文化、若者のアイデンティティ、ドラッグ、政治、カウンターカルチャー、変化する性意識、そして戦後の抑制から1960年代末の混乱へ向かう社会の動きと繰り返し結びつけるからである。したがって"Strawberry Fields Forever"は、Mellotron、テープ編集、ヴォーカルを組み合わせたアレンジ以上のものになる。その内向的なサイケデリック言語が、特定の歴史的瞬間の中に置かれる。Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandも、1967年と、ポピュラー音楽が文化変革に参加しうるという信念をめぐる、より大きな議論の一部として扱われる。この広い枠組みが本を単なるディスコグラフィー以上の野心的な作品にしているが、同時にここは読者が最も「解釈」に注意すべき領域でもある。MacDonaldの10年間に対する見方には、彼自身の世代的、政治的、美学的な前提が反映されている。楽曲を囲む文化論は、The Beatlesの背後に置かれた中立的な背景ではなく、読者が向き合うべき主張である。
セッション・データと批評を混同してはいけない
MacDonaldの各項目には録音日、参加者、使用楽器なども含まれているため、技術資料として使いたくなる誘惑がある。概略をつかむには有用だが、記録に基づくスタジオの時系列についてはMark LewisohnのThe Complete Beatles Recording Sessionsのほうが適切な専門資料である。この違いはむしろ生産的だ。Lewisohnが主として「スタジオで何が、いつ起きたか」を扱うのに対し、MacDonaldは「出来上がった録音が何を意味し、それを成功作と考えるか」を扱う。どちらか一人に両方の仕事をさせるより、二冊を併読するほうがはるかに価値がある。これはRetroForgeにとっても有益な原則を示している。アーカイブ、回想録、批評は異なる種類の証拠であり、それぞれの資料に最も適した役割を担わせるほど、音楽史の記事は信頼性を高められる。
Lennon、McCartney、そして全曲を一人の人格に還元する危険
Lennon–McCartneyという共同名義は、二人の作家性がどれほど異なる方向へ進んだかを見えにくくする。MacDonaldは共同作業と相互作用を認めながらも、両者の作曲傾向をしばしば明確に区別する。Lennonは次第に内省、シュルレアリスム的な言語、音響実験へ傾き、McCartneyは驚くほど幅広い形式感覚、旋律の直感、アレンジへの執着を示す。こうした対比は有用だが、The Beatles神話はそれを誇張し、すべての曲を一人の人格が純粋に投影されたもののように扱いかねない。歴史的現実はもっと共同的で、アイデアは作曲者、プロデューサー、エンジニア、バンド仲間の間を移動している。George Harrisonの成長は、有名な「二人の天才」という物語をさらに複雑にする。10年代末には"Something"や"Here Comes the Sun"のような楽曲が現れ、彼を単なる二次的な貢献者として扱う説明はますます維持しにくくなる。MacDonaldの枠組みが最も有効なのは、差異を鋭く見せながら、それを戯画へ固めてしまわないときである。
技術が音楽言語になる
Revolution in the HeadがRetroForgeに自然に馴染む理由の一つは、録音上の選択に注意を向けていることだ。The Beatlesの発展は、マルチトラック録音、テープ操作、利用できる楽器の急速な変化と重なる。ダブルトラッキング、varispeed、テープループ、逆再生音、近接マイキング、オーケストラのオーバーダブ、Mellotron、Moog、そしてますます複雑になる編集が、作曲そのものの一部になっていく。スタジオは徐々に「演奏を記録する場所」だけではなく、「演奏そのものを発明できる場所」へ変わる。MacDonaldはこれらの技術について最終的な専門権威ではないが、彼の批評は、なぜそれらが美学的に重要なのかを理解する助けになる。そこからAbbey Road、Mellotron、Moog、テープ編集、プロダクションに関するRetroForgeの記事へ自然に接続できる。セッション資料が技術的な骨格を提供し、MacDonaldが完成した音楽的効果の解釈を助ける、という関係である。
著者の気質と切り離せない本
Ian MacDonaldは批評家、編集者、ソングライターであり、クラシック音楽についても執筆した人物だった。その文章は優雅で、凝縮され、驚くほど断定的であることがある。その自信が本に力を与える一方、長く続く論争の原因にもなった。後期The Beatles作品に対する特定の評価や、1960年代以後の世界を論じる際に現れる、より大きな文化的悲観主義に反発する読者もいる。責任あるガイドでは、こうした異論も重要である。批評書は、すべてについて正しいから重要になるわけではない。ときには、同じレコードを深く理解している聴き手同士がどれほど激しく意見を異にしうるかを示すこと自体に大きな価値がある。したがって、著者の人格は分析に混入した不純物ではない。それは本の方法そのものであり、Revolution in the Headをセッション台帳とは異なるものにしている要素でもある。
2005年版
初版は1994年に刊行され、その後改訂が行われたのち、MacDonaldが2003年に亡くなった後の2005年にPimlicoから改訂版が刊行された。Google Booksではこの後期版を改訂版、約515ページとしている。その後の訂正や追加を含むため、新たに読む人にとっては最も無難な標準版である。より古いFourth Estate版やPimlico版も、特に影響力のある批評書の出版史に関心があるコレクターには魅力がある。ただしAbeBooksで複数の版が表示される場合、RetroForgeは年と版を明確に示すべきだ。後期版の表紙を、古い版のメタデータと安易に組み合わせてはいけない。2005年版を推奨する理由は編集上の完成度であり、「新しい版なら自動的に優れている」という前提ではない。
特に優れている点
この本の最大の妙技は、聴き慣れた曲をもう一度未知のものにしてしまうことだ。何十年もThe Beatlesを聴いてきた読者でも、アレンジの細部、歴史的なつながり、あるいは容赦ない否定的評価に出会い、突然もう一度その曲を聴き直したくなる。構成そのものも再利用性が高い。最初から順に読んでもよいし、一曲が気になったときだけ本棚から引き出して参照することもできる。文化的背景によってディスコグラフィー以上の野心を持ち、しかも文章には強烈な個性がありながら、本人の回想録を装ってはいない。この組み合わせこそ、後年の研究が一部の技術的細部を更新した後でも本が有用であり続ける理由である。Revolution in the Headは資料研究の代替物ではない。資料上の事実を、音楽として意味のあるものに感じさせてくれる伴走者である。
注意点
MacDonaldの意見はときに容赦なく断定的で、敬意に満ちた礼賛を求める読者なら本を放り投げたくなる瞬間もあるだろう。アーカイブ公開やセッション研究の進展によって、一部の技術的ディテールは後年のThe Beatles研究で修正・精緻化されているため、厳密な時系列にはLewisohnなど専門資料のほうが適している。文化史の部分も同様に、確定した合意ではなく解釈として読む必要がある。また本はThe Beatles時代で終わり、その後のソロ活動を均等に追う意図はない。これらはいずれも本の目的を壊す欠点ではない。The Beatlesの録音作品とその10年間を力強く論じる批評研究であり、関係者すべての人生を網羅する完全史ではない、という本来の役割を明確にするものだ。
こんな人におすすめ
The Beatlesのレコードをすでによく知っているが、違う耳で聴き直したい人なら、反論したくなる箇所、再発見できる箇所、さらに掘り下げたくなる箇所のいずれかを必ず見つけるはずだ。アルバムや楽曲のページから来た読者には特に相性がよく、一つ一つの項目がアレンジ、プロダクション、文化的背景へ通じる小さな迷路になる。記録に基づくスタジオ時系列にはLewisohn、バンド自身の記憶にはThe Beatles Anthology、起源の全体像にはTune Inを組み合わせたい。これらは互いを打ち消す本ではない。方法が違うからこそ、本格的なThe Beatles書棚が豊かになる。
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通常の読書には2005 revised Pimlico editionを優先し、古い版はコレクター向けとして別に表示するのがよい。
