コンソールの向こう側から振り返るAbbey Road。ただし大前提がある。記憶はテープ・ログではない
Geoff EmerickのHere, There and Everywhereには、どれほど詳細なBeatles伝記でも再現できないものがある。それは、彼らが最も大胆なレコーディングに挑んでいた時期を、コントロール・ルーム側から見た視点だ。EmerickはEMI Recording Studiosで働き、驚くほど若い時期に、Revolver、Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band、White Albumの一部、そしてAbbey Roadに関わる作業で主任バランス・エンジニアを務めた。Howard Masseyとの共著で2006年に初版が刊行された本書には、技術的な問題解決、スタジオ内の人間関係、そしてガラスの向こうにいた人々に対する強い評価が大量に詰まっている。その近さは並外れているが、だからこそ扱い方には注意が必要だ。Beatles研究者や当事者は、Emerickの回想の一部に異議を唱えてきた。したがって本書は、セッションの記録的な年表の代用品としてではなく、鮮烈な一次的記憶として読むときに最も価値を発揮する。
EMIという制度の内側で録音を学んだ10代の技術者
Emerickは非常に若くしてEMIに入り、階層、手順、技術規則によって動く組織の中でレコーディングを学んだ。若手スタッフは上級エンジニアを補佐し、機材は定められた慣行に従って扱われ、実験も高価な失敗を防ぐことを目的とした制度の内側で行われた。この背景が重要なのは、後世のスタジオ神話では、革新が一人の天才エンジニアによる即興的な反逆として描かれがちだからだ。Emerickはまず制度を理解し、そのうえで初めて、その慣習を押し広げる側へ進むことができた。彼自身の職業的成長は、Beatlesの急速な変化とも並行していた。バンドが比較的ストレートなポップ録音から、ますます複雑なスタジオ構築へ移行する一方で、Emerickも若手業務から、より大きな技術的責任を担う立場へ進んでいった。したがって本書は、レコーディングという行為がどこまで変化し得るかを学んでいくバンドの物語と、手元の機械をどこまで押し広げられるかを学んでいくエンジニアの物語を、重ね合わせて語っている。
*Revolver*で、技術的な問題解決そのものが作曲の一部になる
Emerickがバランス・エンジニアになったのはRevolver期であり、その役割で初めて担当したBeatlesの曲が"Tomorrow Never Knows"だった。この曲は、エンジニアの回想録が伝記やセッション記録の隣に置かれるべき理由を完璧に示している。Lennonは声を根本的に変質させたサウンドを求め、テープ・ループは構築の中心に入り、ドラムは当時としては異例なほど強く近接した方法で録音された。コンプレッションや信号処理は、演奏を目立たず保存するための道具ではなく、レコードの音楽言語そのものになっていった。Emerickの価値は、そうしたサウンドの背後にあった実務上の問いを描く点にある。アーティストは、便利なプリセットなど存在しない効果を求めることができた。その場合、エンジニアやスタジオ・スタッフは、その場にある機材で物理的な解決策を編み出さなければならなかった。解決すべき問題の連鎖が見えてくると、革新は神秘的ではなくなる。そして、そのぶんむしろ凄みを増す。
*Sgt. Pepper*の頃には、実験はもう例外ではない
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandの制作時には、スタジオが通常とは異なる結果を生み出せるという期待そのものが、Beatlesの日常的な制作方法の一部になっていた。Artificial double tracking、varispeed、テープ操作、通常とは異なるマイク配置、オーケストラ録音、大規模なオーバーダビングなどが組み合わされ、アーティストにもプロデューサーにも完成した技術レシピが最初から存在しないセッションが増えていった。Emerickは当然ながら、その過程における自分の役割を強く描く。それには意味がある。エンジニアはしばしば小さなクレジットに押し込められ、神話はBeatlesとGeorge Martinばかりに集中してきたからだ。ただし、本書には釣り合いを取る読み方も必要である。EMIでの革新は共同作業だった。Norman Smith、Ken Townsend、Richard Lush、Phil McDonald、George Martinをはじめ、多くのスタッフがBeatles期全体に貢献している。Emerickの回想が照らすのは、そのシステムの中のひときわ重要な一地点であって、Beatlesの録音サウンドを一人で発明したという物語ではない。
コントロール・ルームの窓越しでは、人間性も違って見える
Emerickが描くBeatlesの人物像は、本書で最も読みやすく、同時に最も論争を呼ぶ部分でもある。Paul McCartneyには温かく、George Harrisonにはかなり厳しく、John Lennonについては短気あるいは扱いにくかったと記憶している場面がある。White Album期は、彼の語りではとりわけ緊張した時代になる。こうした評価が有用なのは、スタジオ作業が技術だけでなく社会的な営みでもあるからだ。性格は仕事のテンポ、コミュニケーション、そして何時間も失敗したあとにさらに試行錯誤を続ける意欲に影響する。しかし同時に、ここはまさに回想録を回想録として扱うべき場所でもある。他の当事者は同じ関係や出来事を違って記憶しており、文書化されたセッション年表によって、Emerickの主張の一部が複雑化した例もある。正しい対応は本書を切り捨てることではなく、証拠の性質を明確にすることだ。Emerickは、その場が彼にどう感じられたかを語ることはできる。しかし、その場にいたというだけで、数十年前の個人的印象を客観的な人物評価へ変えることはできない。
エンジニア自身の回想録が必要な理由
ミュージシャンやプロデューサーは、セッションを曲、アレンジ、創作意図を通して記憶することが多い。エンジニアが覚えているのは別の問題だ。レベル、マイク、テープ、歪み、コンプレッション、機材制約、そして技術部門が推奨しないことを試したときに起きる実務上の帰結である。その視点は、聴き手が録音作品を理解する方法を変える。Beatlesの1曲は、Lennon、McCartney、Harrisonが書き、George Martinが導いた作曲作品であるだけではない。部屋の中の演奏をテープ上の情報へ変換する、物理的な判断の連鎖でもある。Emerickの回想録が最も強いのは、この物質的な現実が見える瞬間だ。近接マイキング、テープ操作、信号処理は、歴史上のチェックリストに後から付け加えられた抽象的な「革新」ではない。具体的な芸術的要求への回答だった。RetroForgeにとってこれは、Abbey Road、マイク、コンプレッション、テープ、ADT、varispeed、マルチトラック録音に関するページへ非常に強くつながる部分である。
White Albumのセッションから退出する
EmerickはWhite Album期、現場の雰囲気が次第に耐え難くなったとして、セッションから離れたことで知られている。この決断は本書の劇的な中心の一つになっている。Beatlesがなお驚異的な音楽を作っている一方で、人間関係と作業環境はますます分裂していたからだ。最も称賛されるレコードのいくつかを築く手助けをしてきたエンジニアが、同じ部屋に残りたくないと感じたのである。この出来事が、その後語られたセッションに関するあらゆる主張を証明するわけではないし、一人の苛立ちだけでアルバム全体を定義することもできない。しかし、歴史的に重要なことを示している。卓越した創作成果と健全な職場環境は同義ではない。スタジオは素晴らしいレコードを生み出しながら、そこにいる人間を疲弊させる場所にもなり得る。EmerickはのちにAbbey Road関連の作業へ戻り、物語はバンド最後の主要スタジオ期へ接続され、晩年の二つのまったく異なる空気を比較できるようになる。
*Abbey Road*と、革新があっという間に日常になる速度
Abbey Roadのセッションは、別の技術的転換点に位置していた。8トラック録音によって可能性は拡大し、ソリッドステート機器はスタジオのサウンドの一部を変化させ、アルバムで有名なメドレーには複雑な編集とシーケンシングが必要だった。Revolver期には急進的に感じられた方法が、わずか数年後には標準的な作業になり得たのである。Emerickの記述は、録音史における重要な教訓を示す。スタジオの革新はすぐに古びる。実験だった技術は日常へ移り、新しい機材はミュージシャンとエンジニアの「普通」の基準そのものを変えていく。Beatlesの録音キャリアは10年にも満たない期間にこの変化が凝縮されているため、その過程を観察するうえで特に価値が高い。複数の重要地点にいたEmerickの存在により、本書はMark Lewisohnによる文書記録寄りの年表に対する、人間的な伴走資料となる。
論争そのものが編集上の価値になる
Here, There and Everywhereには、Beatles研究者や当事者が異議を唱えてきた回想が含まれている。ただし、その注意書きを巨大化させて本書の推薦自体を飲み込ませるべきではない。多くの回想録には誤りがあり、それでもEmerickが重要なセッションのすぐ近くにいた事実は例外的な価値を持つ。より良い方法は三角測量である。Mark LewisohnのThe Complete Beatles Recording Sessionsは日付や文書化された作業を示せる。Emerickは特定のセッションの空気を伝えられる。George MartinのAll You Need Is Earsはプロデューサーの視点を与える。資料が一致するところでは確信度が上がり、異なるところでは不一致を残すべきだ。盲目的な信頼にも、全面的な切り捨てにも寄らないこの方法のほうが、音楽史として強い。そして本書がReading Roomで特に有用なのも、資料の種類そのものがなぜ重要なのかを読者に教えてくれるからだ。
特に優れている点
この回想録は、技術作業を簡単なものに見せることなく、エンジニアリングをドラマとして描く。有名な録音が、スタッフ、機材、創作上の圧力を伴う判断の連鎖として再構築され、アーティスト中心の歴史では見えにくいスタジオ労働者が前景化する。Emerickの説明はエンジニア経験のない読者にも比較的入りやすく、技術的内容が人間の物語を妨げることは少ない。コントロール・ルームという位置も、慣れ親しんだBeatles神話の縮尺を変える。アルバム・カバーや公的事件を見るのではなく、マイクを試し、議論し、待ち、演奏を繰り返し、実務上の問題を解く人々を見ることになる。回想を検証する必要がある箇所でさえ、その視点自体には価値がある。ポピュラー音楽で最も有名なサウンドのいくつかが、どれほどの労働によって作られたかをここまで身近に感じさせる本は多くない。
注意点
最大の限界は、記憶違いと論争のある主張である。とりわけEmerickが動機を推測したり、正確な出来事を再構成したり、個々のBeatlesを評価したりする場面では注意が必要だ。彼と各メンバーとの関係は同一ではなかったため、語り口が偏って感じられることもある。好意や苛立ちを、そのまま中立的な歴史評価へ変えてはいけない。また、本書は精密な技術マニュアルでもない。確定した日付、テイク番号、文書化されたセッション内容が必要なら、Lewisohnや他のアーカイブ資料を併用すべきである。さらに、Emerickの物語は本人が実際にバンドと働いた時期へ自然に集中するため、Beatlesのスタジオ史を均等に扱ってはいない。これらは本書の重要性を減らす欠点ではなく、正しい使い方を定義する境界である。
こんな人におすすめ
Revolver、Sgt. Pepper、Abbey Roadの音に惹かれている人なら、コントロール・ルームからの視点を楽しめるはずだ。プロデューサーやエンジニアには当然ながら技術的関心が大きいが、一般的なBeatlesリスナーにとっても、物理的な制作工程が見えることで聞き慣れた録音が別のものに聞こえてくる可能性がある。理想的な関連書籍はThe Complete Beatles Recording Sessionsで、記憶と文書記録の緊張関係によって両方の価値が増す。そこにGeorge Martinの回想録を加えれば、同じスタジオが三つの専門的立場から立ち上がり、どの視点も他を消し去る必要がなくなる。
版について
Penguin Random Houseは2006年のebookを400ページ、2007年のペーパーバックを400ページとして掲載している。国際版は複数存在するため、公開メタデータは表示する実際の商品に紐づけ、すべての形式が同一の出版情報を共有していると仮定しないこと。
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標準的な2007年ペーパーバックが、読みやすい一般向けの版である。
