National Healthは1975年7月、Hatfield and the Northの鍵盤奏者Dave StewartとGilgameshのAlan Gowenが、重なり合うロンドンの人脈から奏者を一つの企画へ集めた。バンドがカンタベリー・シーンに属するのは人員と音楽言語によるのであり、カンタベリーの地元バンドだったからではない。
1978年のスタジオ2作は、2鍵盤/2ギターのロック・オーケストラという当初構想を、変化する現実的な編成へ凝縮した。長編作曲、ジャズ和声、噛み合う電気鍵盤、慎重に置かれた声が独奏の誇示以上に重要だ。通常編成が1980年3月に解散した後、1981年の再結成でGowen作品を追悼作『D.S. Al Coda』として録音した。1983年にはエディンバラで最後の2公演を行った。
National HealthのギタリストPhil Miller。2006年、ロンドンで開かれたPip Pyle追悼公演で演奏する姿。写真:英語版WikipediaのNatcheng/Wikimedia Commons ・ライセンス:CC BY-SA 3.0。本ページ用にWebPへ変換。
結成と歴史
構想は1973年のHatfield and the NorthとGilgameshの合同公演から育った。StewartとGowenによる1975年の初期編成は、2人の鍵盤にギターのPhil MillerとPhil Lee、ベースのMont Campbell、歌のAmanda Parsons、長い探索後にドラムのBill Brufordを加えた。女性歌手3人も検討したほど目標はさらに大きかったが、この7人編成さえ資金確保と維持が難しかった。
Leeは最初の英国ツアー前に去り、CampbellとBrufordも1976年中に続いた。Neil Murrayがベース、Pip Pyleが正式ドラマーとなり、ParsonsとGowenは1977年初頭に脱退した。それでも録音開始時にはゲストで戻り、セルフタイトル作へ当初の2鍵盤構想の一部を残した。Murrayは1978年1月にWhitesnakeへ移り、John Greaves加入後、夏に録音したのが『Of Queues and Cures』。
Stewartは公演中止と継続する財政圧力の末、1978年後半に脱退した。Gowenは1979年1月に戻り、Miller、Greaves、Pyleへ合流。この4人は欧州と米国を巡ったが、スタジオ作を残さず1980年3月に解散した。Gowenが白血病で1981年5月に死去すると、Miller、Stewart、Greaves、Pyleが追悼公演と彼の作品集のため再集合し、『D.S. Al Coda』として1982年に発表した。
『D.S. Al Coda』はAlan Gowenへの追悼であると同時に、実践的な保存行為だ。Stewart、Miller、Pyle、Greavesは未録音または新編曲のGowen作品と、Gilgameshゆかりの2曲を録音した。Elton Dean、Jimmy Hastings、Richard Sinclairらのゲストは作曲を隠さず色彩を広げる。Portrait of a Shrinking Man、Black Hat、Shining WaterにはGowenの角張った和声と控えめな憂いが残る。1978年のどちらかの音を正確に模倣せず、簡潔な主題に追悼作の形を決めさせた。
主要曲:Portrait of a Shrinking Man · Black Hat · Shining Water
National Healthは、支えていた基盤が1970年代半ばに崩れてもカンタベリーの語彙が生き残れたと示す。変化する市場へ合わせ作曲を単純化せず、対位法、ジャズ和声、乾いたユーモア、電気/生楽器の珍しい色彩組み合わせを簡潔な録音形式へ収めた。
カタログは真に異なる三状況も記録する。デビュー作に残る野心的ロック・オーケストラの名残、室内楽ゲストを伴う引き締まった4人組の『Of Queues and Cures』、そして集団的追悼行為としての『D.S. Al Coda』。後年の資料盤は失われていた初期デモと即興性の高い1979年4人組を加え、「カンタベリー・サウンド」を固定編成とせず変化として聞かせる。